「自由にどうぞ」が、いちばん動けない

「自由にどうぞ」が、いちばん動けない。白紙と鉛筆、小さな砂時計を置いた机

「自由にどうぞ。何でもいいです」

そう言われた瞬間に、
頭がまっ白になるということがあります。

自由なんだから、
本当はいちばん動きやすいはずなのに。

なぜか、手が止まる。

長いこと、
自分でも不思議だったんです。

目次

縛られると不自由になる、と思っていたけど

ずっと勘違いしていたことがあって。

縛られると、自由が減る。

ルールとか条件とか、
そういうものが増えるほど、
息苦しくなって動けなくなる。

そんなふうに思い込んでいたんです。

だから、好きにしていいよ、が
いちばんありがたいはずだ、と。

ところが、
自分の実際の動きを観察してみると、
どうもそうじゃない。

たとえば、
「このテーマで自由に書いてください」
と言われたとき。

ぜんぜん手が動かないんです。

白い紙を前にして、
うーん、と固まってしまう。

何でも書いていいはずなのに、
何ひとつ出てこない。

でも、
「1分で10個出してください」
と言われたら。

これが、不思議と動き出すんですよね。

えー、10個も?
なんて言いながら、
気づいたら手が動いている。

同じ自分なのに、
この差は、いったい何なんだろう。

ずっと、引っかかっていました。

「枠組み」と「制約」は、同じじゃない

で、あるとき、
ふと腑に落ちたんです。

あ、「枠組み」と「制約」は
別物なんだな、って。

言葉にすると、
すごく似ているじゃないですか。

どっちも、縛るもの、
というイメージがある。

でも、僕の体感は、
まるで違うんですよね。

フォーマットやテンプレートを渡されて、
この通りに埋めてください、
と言われると、
なんだか急に窮屈になる。

やらされ感、というか。
自分がそこにいない感じ、というか。

これが、枠組みのほう。

一方で、
時間とか、数とか、
お題とか、問いとか。

そういう制限があると、
逆に発想が研ぎ澄まされていく。

よし、やってやろう、みたいな、
ちょっとした集中スイッチが入る。

これが、制約のほう。

電車のレールと、サッカーのルール

なんでこんなに違うんだろう。

そう考えていたら、
電車とサッカーのたとえが
浮かんできました。

電車は、レールに乗った瞬間に、
行き先も、通る道も、
スピードも、ぜんぶ決まっている。

乗っている人にできるのは、
せいぜい、どこで降りるかくらい。

あとは、ただ運ばれていくだけ。

これが、「枠組み」。

一方、サッカーには、
手を使ってはいけない、
というルールがある。

これも、れっきとした縛りですよね。

でも、どこに走るか、
誰にパスするか、
どうやって相手を崩すかは、
ぜんぶ自分で決められる。

手を縛られているのに、
自由度が違います。

これが、たぶん「制約」。

行き先まで決めてくるのが、「枠組み」。

いくつかの点だけ固定して、
あとは自由にしてくれるのが、制約。

僕はこの二つを、
同じ縛りという言葉でくくって、
両方まとめて避けようとしていたんだと思います。

それで結局、
何も置かれていない白紙の前で、
固まっていたわけです。

俳句も、服選びも

まわりを見回してみると、
似たような例は
わりとそこら中にあります。

たとえば、俳句。

五・七・五という、
けっこう厳しい制約がありますよね。

たった17音しか使えない。

でも、だからこそ、
あの短い中に、
無限の表現が広がっていく。

いちばん身近なのは、
毎朝の服選びかもしれません。

クローゼットには服がたくさんあって、
今日は何を着ようかな、と、
鏡の前でうんうん唸ってしまう。

選択肢がありすぎて、
決められないんですよね。

でも、今日はこのシャツ、と
一枚決めてしまう。

そうすると、
このシャツに何を合わせようかな、と、
今度は組み合わせを
あれこれ想像しはじめる。

シャツを一点、固定しただけ。

それだけで、
あんなに動かなかった手が、
急に動き出す。

人って、たぶん、
完全な自由には、わりと弱いんですよね。

自由すぎると、
どこから手をつけていいか分からなくて、
固まってしまう。

「1分だけ」という、小さな制約

これは、自分の仕事の進め方にも、
そのまま当てはまっていて。

腰が重いタスクって、
あるじゃないですか。

あー、やらなきゃなー、と思いながら、
ぜんぜん手がつかないやつ。

ああいうとき、
ちゃんと全部やろうとすると、
これがまた、動けないんです。

完璧にやろうとするのって、
ある意味、自由すぎる状態なんですよね。

ゴールが大きすぎて、
どこから手をつければいいか分からない。

そこで、何年か前に、
「1分着手」というのを
試してみたんです。

朝、すべてのタスクに、
1分だけ手をつけて回る。

完了させなくていい。
ただ、触れるだけ。

これが、不思議とよかった。

午前のうちに、
ほとんどのタスクに着手してしまうと、
一つひとつは
たいして進んでいなくても、
気分がぜんぜん違う。

その日はもう、
1日ずっと機嫌がよかったんです。

しかも面白いもので、
1分のつもりが、
気づいたら15分くらい
続いていたりする。

最初の一歩さえ出れば、
あとは勝手に転がっていく、みたいな。

完了しなきゃ、という
大きすぎる自由の前では固まるのに、
1分だけ、という
小さな制約があると、すっと動ける。

枠組みは取り払う、制約は置く

枠組みは、取り払う。
制約は、置く。

片方は外したほうがよくて、
もう片方は、
むしろ自分から置いたほうがいい。

何か動けないなぁ、と感じるときは、
自由が足りないというより、
自由すぎるのかもしれない。

そういうときは、
無理に気合を入れるよりも、
小さな制約を一個だけ、
自分に置いてあげる。

1分だけ、とか。
3つだけ、とか。
これについてだけ、とか。

それくらいが、
ちょうどいいのかもしれません。

ちなみに、この記事も、
枠組みと制約というテーマがあったから
書けたんですよね。

何でも自由に書いていいよ、
と言われていたら。

たぶん、いまごろまだ、
白紙の前で固まっていたと思います。

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