引き受けたのに、手が動かない。
そういう仕事、ないですかね。
真面目にやっているのに、
なぜか手が止まる。
気合が足りないのか、
根性がないのか。
そう思っていた時期が、僕にもありました。
でも、過去の失敗を並べてみたら、
それは気合の問題じゃなかった。
構造の問題だったんですよね。
9件の失敗を並べてわかったこと
起業4年で、仕事でご一緒して
うまくいかなかった方たちのことを、
書き留めていたファイルがあります。
途中でやる気がなくなって
こっちから関係を終わらせたケース。
引き受けたはいいけど
何ヶ月も手が動かなかったケース。
相手からお断りがあって
自然消滅したケース。
思い返せるだけで、9件あった。
そのファイルをAIに見せて、
「どんなパターンがあるか分析してほしい」
と頼んでみたら、
めちゃくちゃはっきりした答えが出てきて。
ちょっと笑ってしまいました。
9件全部に共通していたのが、
「他人のビジョンを動かそうとしていた」
という構造だったんですよ。
ある方の集客をサポートしようとした。
SNSの発信を一緒に進めた。
専門家の方のプロモーションを組もうとした。
物販の代行を引き受けようとした。
…全部、「相手が主語」の仕事だった。
特に印象に残っているのは、
物販の代行を引き受けたケースで。
「この商品、売れるといいね」という
軽い気持ちで自分から提案したんですよ。
でも取り組んでみたら、
そもそも売れる構造じゃないし、
仕入れ原価も高すぎる。
じわじわやる気がなくなっていって、
気づいたら1年以上、
ほぼ何も動いていなかった。
最終的に相手から
しびれを切らして関係を終わらせてくれた、
という感じで。
自分から提案しておいて、その結末なんですよ。
よくよく振り返れば、
「手が動かない」シグナルは
取り組む前からもう出ていたんですよ。
「乗り気じゃないな」
「なんか気分が上がらないな」という感覚が、
最初の段階でもうあった。
でも、
「やってみないとわからない」とか、
「引き受けちゃったから」という理由で、
続けてしまった。
で、9件全部、うまくいかなかった。
ここで面白いのが、
「気合が足りない」とか
「努力が足りない」という話じゃ
ないんですよね。
構造の問題なんです。
「相手のビジョン」を動かす仕事って、
コントロール権が自分にない。
進め方も、判断のタイミングも、
ゴールの定義も、全部相手のペースになる。
そうすると、どれだけ真面目にやっても、
じわじわ認知資源が削られていく。
判断を迫られるたびに、
ちょっとずつ疲れていく。
これが「手が動かない」の
正体だったんじゃないかと。
一方で、続いていたものがある
9件の失敗を並べながら、
もう一つのことに気づいたんですよ。
自分で書いたブログの記事は、
今も途切れ途切れだけど続いている。
Kindle本は、出してから
毎月ちょっとずつ収益がある。
複数のプラットフォームで、
自分のコンテンツだけが継続していた。
9件の失敗 vs. 自分軸の活動の継続。
データとして並べると、
もう答えしか書いてなかった。
「向いていないのかもな」
「苦手なのかもな」っていうのは、
うっすら感じていたんですよ、正直。
でも「うっすら感じている」と
「データとして明確に見える」って、
やっぱり違うんですよね。
並べて初めて、
「ああ、そういうことか」
と腑に落ちる感じがありました。
「知見を渡す」と「仕事を引き受ける」は別物
ここで一つ、思い出したことがあって。
フリーランスの方に
「クラウド経理や確定申告、
こうやるといいですよ」
って話したことがあったんですよ。
その方、とても喜んでくれて、
自分で動いて、きれいに完結した。
あれは「知見を渡した」んですよね。
相手のビジョンをこっちが実行したんじゃなくて、
自分が持っているものを渡した。
主語は、ずっと自分のまま。
相手が自分で動いた。それで完結した。
失敗した9件との根本的な違いはそこで。
失敗した仕事は全部、
「自分が動き続けないと前に進まない」構造だった。
相手のSNSを更新する。
相手の集客施策を実行する。
相手の商品を売る。
こっちが止まれば、全部止まる。
「知見を渡す」は違う。
自分の経験や思考をコンテンツとして出す。
それが一人歩きして、
自分が動いていなくても誰かが読んでくれる。
タロット関係の本を出したんですけど、
金額は大きくないんですが、
出してからずっと、毎月誰かが読んでくれている。
自分が動いていなくても、本は動いている。
この構造の違いを、
今回初めてちゃんと言葉にできた気がします。
「知見を渡す仕事」は合う。
「相手の仕事を引き受ける仕事」は合わない。
「他人のサポートが苦手」という話ではないんですよ。
そうじゃなくて、
相手が自走できる人に知見を渡すのは合う。
相手の代わりに動き続けるのが合わない。
その一点の違いで、
完走できるかどうかが変わってくる気がします。
「誰かの船に乗って漕ぐ」のと、
「自分の地図を渡す」のとでは、
疲れ方がまるで違うんですよね。
船を漕いでいる間は、
風向きも、目的地も、
漕ぐペースも、
全部船長(相手)が決める。
でも地図を渡すなら、
渡した瞬間に完結する。
相手がどこへ行くかは、相手が決める。
ただ、一つ、より正確に言うと。
他人のビジョンに関わった仕事でも、
うまくいったケースはあるんですよ。
ITの保守管理をきちんと条件を決めて
引き受けたものとか、
自分が主導でやり方を決められたものとか。
だから、
「他人が主語だとダメ」っていう
単純な話でもなくて。
たぶんもう一段掘ると、
「コントロール権と条件を
自分が握れていたかどうか」が
本当の分かれ目だったのかもしれない。
なぜ「代行」に手を出し続けてしまったのか
なぜ、合わないと分かる前に
9件も続けてしまったのか、という話を
もう少し書いておきたくて。
「自分に何もないなら、
他人のものを代行して販売してあげてもいい」
こういう考え方が、
どこかに刷り込まれていたんですよね。
自分のコンテンツや知見が
まだ十分でないと感じていると、
「代行でも稼げるなら、それでいいじゃないか」
という論理が出てくる。
でも実際は、
自分が乗り切れないもの、
主語が自分でないもの——
そういう仕事は、続かなかった。
少し前に、自分の行動パターンを
ChatGPTにぶつけてみたことがあって。
「なぜ、いつも途中でやる気をなくすのか」
という問いを投げかけてみたら、
出てきたのが
「価値を証明しなければいけない」
という強迫観念みたいなもので。
「役に立たないといけない」という感覚が強くあって、
それが「引き受ける」方向に
自分を押し出していたのかもしれない。
相手のビジョンを引き受けることで、
「ほら、役に立っているでしょ」
と証明しようとしていた、みたいな。
それで、「手が動かない」というシグナルが
毎回出ていたにもかかわらず、
「引き受けちゃったから」という理由で
上書きしてしまっていた。
モチベーションの感覚って、
ビジネス適合性を測る
コストゼロのセンサーだったんですよね。
それを、9回、無視した。
失敗を記録していたから、今日気づけた
今回みたいな分析ができたのは、
失敗を記録していたからなんですよ。
「あの案件、うまくいかなかったな」で終わらせず、
ちゃんと
「なんで、どういう状況で、どうなったか」
を書き留めていた。
それがなかったら、今日のAIとの対話もできなかった。
記録ってめんどくさいじゃないですか。
特に失敗は、書くのがちょっとしんどい。
「なかったことにしたい」という気持ちも、
正直ありましたよ。
でもその記録が、
何年か後に「分析の素材」になる。
まあ、当たり前のことかもしれないんですけど、
頭でわかっているのと、
実際に体験してみるのとでは、やっぱり違って。
「記録が機能した瞬間」を
初めてリアルに実感した感じがあって。
それは、素直に嬉しかったですね。
回り道の間も、積み上がっていた
「回り道したなー」と思っていたんですよ、最初。
9件、うまくいかなかった。
時間もエネルギーも使った。
でも、よく考えたら。
その間も、ブログは書いていた。
noteも書いていた。
Kindle本も出ていた。
「うまくいかなかった9件」と
「積み重なっていた資産」が、
実は同時並行で存在していた。
失敗は失敗だけど、
完全な損失ではなかった、みたいな。
それがなんか、ちょっと救いになりました。
それに、
9件の失敗があったから、
今日「合わない構造」を
ちゃんと言語化できた。
全部やってみたから、
データとして見えた。
やってみなかったら、
「なんとなくそういう気がする」
止まりだったかもしれない。
おわりに
「自分が主語のとき、完走できる。
他人が主語のとき、離脱する。」
言ってみれば当たり前のことで、
でも当たり前のことでも、
ちゃんとデータで見ると重みが全然違う。
真面目に頑張っているのに、
なぜか空回りする。
そういうとき、
気合や根性の問題じゃなくて、
「主語が誰か」という構造の問題
かもしれない。
そして、その構造は、
過去の記録の中に
もう答えが出ていたりする。
「うっすら感じている」を
「データで確認できる」に変えることで、
ようやく腑に落ちる——
そういうことって、
思いのほか多いんじゃないかな、
とは思うんですよね。