「心配してるよ」と言われると、ちょっと困る

「心配してるよ」と言われると、ちょっと困る。石の入ったリュックを描いたサムネイル。

昼食で入ったインド料理店で、
ナンのおかわりを、
えらく熱心に勧められました。

もうお腹はいっぱいで。

ありがたいんですけど、
これ以上入れると
しんどくなるので、
やんわりお断りしたんです。

そうしたら、
別の店員さんにも、
もう一回勧められて。

いやいや、と苦笑いしながら、
ふと思ったんですよね。

善意で差し出されているのに、
なんだかちょっと、ヘビーな感覚。

この、「ありがたいんだけど困る」という感じ、
どこかでおぼえがあるなぁ、と。

……あ、これ、
心配されるときの感じに
似てるかもしれない。

目次

ずっと、心配されてきた

僕は子どもの頃から、
けっこう心配されて育ちました。

母と、母方の祖母が、
とても心配性だったんです。

夜中によく熱を出す子だったので、
何度も病院に
連れて行ってもらいました。

大きくなってからも、
まあ、道を踏み外しそうに
なったこともあって。

それでもどうにか、
ここまでやってこられています。

だから、心配されるのも、
無理はないのかもしれません。

ただ、正直に言うと。

もう還暦が近い年になっても、
実家に顔を出すと、
親はやっぱり心配してくるんですよね。

両親が元気でいてくれること自体は、
本当にありがたいことで。

そうなんですけど、
そこにくっついてくる
「いろいろ心配」のほうは、
どうにも、うっとうしい。

……こう書くと、
なんて薄情な息子だ、と
自分でも思うんですけど。

でも、心配されるたびに、
なんとも言えない、
いやーな気持ちになるのは、
子どもの頃から
ずっと変わらないんです。

どうしたらいいか、分からない

その、いやーな気持ちが何なのか、
僕はけっこう長いこと
考えてきました。

まずわかったのは、
「心配してるよ」と伝えられても、
じゃあ僕はどうしたらいいんだ、
というところで止まってしまうこと。

がんばれ、でもなく、
こうしたら、でもなく、
ただ心配している、という
気持ちだけが、
ぽん、と手渡される。

受け取ったほうは、
それをどこに置けばいいのか
分からない。

しかも厄介なことに、
心配していると言われると、
自分の調子まで
ちょっと落ちる気がするんです。

大丈夫だと思って進もうとしていたのに、
あれ、そんなに危なっかしいのかな、と、
急に足元が
ふらつくような。

フラットな道を歩いているつもりだったのに、
そのひと言で、
もしかしたら、高いところに張られている
1本のロープの上を歩いているんじゃないかって。
そんな感覚。

心配は、信頼の裏返しだったりする

長いこと考えて、
いまのところ僕がたどり着いているのは、
こういうことです。

信頼は、
あなたなら大丈夫、まかせる、という向き。

心配は、
あなたは大丈夫じゃない、
私が気にしていないと、という向き。

もちろん、
言っている本人には
そんなつもりはないかもしれません。

相手を思う気持ちから
出ているんです。

でも、受け取る側には、
そう届いてしまうこともある。

リュックに、石を入れている

もうひとつ、
自分の中でしっくりきている
イメージがあって。

心配を伝えるのって、
これから山に登ろうとしている人の
リュックに、
石をひとつ入れるようなものだな、と。

あなたのために、
と思って入れている。

でも、その石を背負って歩くのは、
入れた本人じゃなくて、
相手のほうなんですよね。

石がひとつ増えるごとに、
相手の足取りは、
少しずつ重くなる。

冒頭のナンも、
店員さんはサービスのつもりで
勧めてくれたんでしょうね。

でも、食べたら苦しくなるのは
僕のほう。

しかも、善意でくるものほど、
やっかいで。

悪意なら、はっきり断れる。

でも善意でくるものは、
断るのも申し訳なくて、
つい受け取ってしまう。

そうして、
知らないうちに石が増えていく。

で、自分はどうなんだ、という話

……と、ここまで書いてきたんですけど。

じゃあお前は
心配しない人間なのか、
と言われると。

全然そんなことないんですよね。

僕にも、
体によくない習慣を
なかなかやめられない家族がいて。

正直、心配です。

やめてほしいなあ、と思うし、
口を出したくもなる。

でも、
何を言ったって、聞かないんです。

というより、
そもそも他人って、
こちらの思いどおりには
動かせないんですよね。

分かっていても、
つい、言いたくなる。

自分は心配されるのが
あんなに苦手なくせに、
いざ自分が心配する側になると、
同じことを
やってしまいそうになる。

……なかなか、
うまくできていないなぁと思います。

手元に置く心配と、渡す心配

こうして書いていて、
ひとつだけ、
分けて考えられそうなことがあります。

心配する気持ちそのものは、
たぶん、消せません。

ただ、その心配を、
そのまま相手に手渡すかどうかは、
また別の話なんでしょうね。

胸の内に置いたまま、
黙って見ている心配と、

「心配してるよ」と言って、
相手に渡してしまう心配。

次に誰かを気づかうとき。

あなたのため、と言って
差し出そうとしているそれを、
ほんとうに背負うのは、
いったい誰なんだろう。

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