嫌な気持ちって、
どうにかしたくなるじゃないですか。
消したいとか、
気を紛らわせたいとか、
考えすぎだと自分に言い聞かせて、
蓋をしてしまいたいとか。
でも、逃げなかったときに限って、
思ってもみなかった発見に
たどり着くことがあります。
感情を消すというワーク
あるコミュニティのオンラインミーティングに、
セラピスト的なジャンルの専門家の方が、
ゲスト講師として来られたことがあって。
体に働きかける手法を使って、
感情の奥にある感情を細かく分類して、
それを消す(リリースする)、
というワークをされていたんですね。
最初に聞いたときは、
ふうん、そういうアプローチもあるんだな、
と思いました。
でも、後からじわじわ、
なんか引っかかってきて。
……感情って、
消しちゃっていいものなのかな。
邪魔なもの、ノイズとして
処理してしまうなんて、
傲慢じゃないか、って。
まあ、その先生への個人的な印象も
あったりしまして(笑)。
当時の日誌には、
「知的でスマートであるように振る舞っているのが
いけ好かない気がした」と書いてあって、
その直後に、
「メタ視点で見ると、裏返せば、
僕はそれを羨ましがっていたのかもしれないけど」
とも書いてある。
自分で書いておいてなんですが、
見なかったことにしたい(笑)。
ともあれ、先生への印象を横に置いても、
感情を消すという方向への引っかかりは、
残っていたんですよね。
感情って、何なのか。
どう付き合うものなのか。
その問いが、しばらく
頭の中でくすぶっていました。
「考え」と「思考」は違う
そのことを考えていたとき、
思い出した本があって。
『考えすぎない練習』という本です。
著者は外国の方なんですけど、
禅の思想が色濃く入っていて。
Kindle Unlimitedでまず読んで、
良かったので、セールのタイミングで
もう一度購入しました。
そのくらい、刺さった本です。
この本でいちばん腑に落ちたのが、
「考え(Thoughts)」と「思考(Thinking)」は違う、
という話です。
「考え」は、天から降ってくるもの。
あ、これ面白い、とか、
あの体験、誰かに伝えたい、とか。
軽くて、何かを創ろうとする方向に
向かうもの。
一方の「思考」は、
エゴから湧き上がってくるもの。
どうしよう、とか、
コンテンツ出さなきゃ、とか、
成果が出ていない、何とかしなきゃ、とか。
重くて、自分を追い詰めていく方向に
行くもの。
本には
「考えは創造し、思考は破壊する」とあって。
なるほど、確かにそうかもしれないな、
と思ったんですよね。
そして、この二つを見分けるセンサーが、
感情なんだ、と。
「感情がいまいちだと、それは思考している証拠」
この一文が、すごく刺さりました。
焦燥感とか、モヤモヤとか、
どよんとした重さがあるときは、
エゴが動き回って、思考モードに入っている。
面白い、なんか軽い、と感じるときは、
考えが降りてきている。
感情は、いまの自分がどちらにいるかを
教えてくれるセンサーなんですね。
体温計に「うるさい、消してしまえ」とはならない
感情がセンサーだとすると、
いちばんしっくりくるたとえが、
体温計です。
体温計が37.8度を示したとき、
この体温計うるさい、消してしまえ、とは
なりませんよね。
ああ、いま少し熱があるんだな、と、
自分の状態を知るための情報として受け取る。
感情も、それと同じで。
焦燥感があるなら、
いま、エゴが動き回っているよ、というアラート。
モヤモヤするなら、
何か大事なことを見落としているかも、というサイン。
怒りが出てきたら、
自分が大切にしている何かが
踏みにじられたんだな、という気づき。
喜びがあるなら、
これ、本当に自分が好きなことだよ、という確認。
喜怒哀楽も、もっと複雑な感情も、
いまの自分について
何かを伝えようとしてくれている、
メッセンジャーなんじゃないかって。
だとしたら、大事なのは、
感情を消すことより、
読むこと、受け取ることのほうなんじゃないか。
ちなみに体温計のたとえで言うと、
感情を消すワークは、
体温が高くて不快だからといって、
体温計を叩き壊すようなものかもしれない。
……いや、言いすぎかもしれないけど(笑)。
「なんとかしよう」が、ループを強くする
じゃあ、実際どうするかというと、
難しいことは何もなくて。
本には、
「今の感情がいまいちかどうかを、
素直に感じ取るだけでいい」
と書いてあります。
あ、いま、焦燥感があるな、と気づくだけ。
……言葉にするとシンプルなんですけど、
やってみると、なかなか難しいんですよね。
不快な感情があると、
どうにかしたくなるので。
でも面白いのは、
そのなんとかしようとすること自体が、
思考、エゴのモードなんですよね。
なんとかしよう、が
また思考を呼び込んで、
新しいいまいちな感情を生んでいく。
感情を消そうとするほど、
また感情に悩まされるループが
強くなってしまう。
僕自身、これを身をもって体験しました。
作業がうまく進まない時期があって。
とにかくやらなきゃ、
成果を出さなきゃ、
何とかしなきゃ、
と焦るほど、手が止まる。
そのとき、AIを使った週次レビューで、
こんな矛盾を指摘されたんです。
「AIを使ったコーディングは
自発的にどんどん進めているのに、
今の作業はなぜか手が止まる。
そこに何か引っかかりがあるんじゃないか」
言われてみれば、確かにそうでした。
AIを使ったコーディングは、
結果がすぐに見えるし、
自分でコントロールできる領域も大きい。
進まなかった作業のほうは、
時間がかかる上に経験も浅くて、
結果が見えにくい。
見えないものに対して
なんとかしなきゃと焦るほど、
エゴが騒いで、思考モードに入っていたんです。
そこで試しに、
なんとかしなくていい、
楽しんだらいいんじゃないか、
というスタンスに切り替えてみたら。
翌週には、ほとんど1日中
没頭していました。
「力めば力むほど止まる。
手放せば動き出す」
前の週は、そんな気がするだけでした。
その翌週、それが実感に変わった。
なんとかしよう
→うまくいかない
→焦る
→もっとなんとかしようとする
→さらにうまくいかない。
このループの内側で
いくら改善しようとしても、
抜け出せない。
ループから降りるには、
なんとかしようとしないこと。
いまの感情を認めて、
ああ、いまの自分はこういう状態なんだな、と
受け取るだけ。
それだけで、
状態が変わっていくことがあるんです。
消そうとするか、読もうとするか
セラピーの先生のワークに引っかかったのも、
たぶん、ここなんだと思います。
消すという方向そのものが、
このループの中にとどまり続けることに
なる気がして。
感情をノイズとして処理しようとすること自体が、
なんとかしよう、というエゴの動きで、
それがまた、いまいちな感情を呼び込んでいく。
……もちろん、あの先生は、
それなりの理論と実績をお持ちです。
僕が理解しきれていないだけかもしれないし、
そのアプローチで楽になっている人も
いると思う。
そこは正直、わかりません。
ただ少なくとも僕には、
感情をセンサーとして読む、という向き合い方が
しっくりきたんですよね。
敵として消そうとするか、
センサーとして読もうとするか。
その視点がちょっとずれるだけで、
感情との付き合い方って、
けっこう変わってくるんじゃないかなと思います。
逃げなかったご褒美
今回の発見も、
あの違和感を消そうとしなかったから、
たどり着けたわけで。
モヤモヤという感情が、ちゃんと、
ここに大事な何かがあるよ、と
知らせてくれていた。
嫌な気持ちから逃げなかったご褒美が、
この気づきだったんだなと思っています。
どんな感情も、ただ味わってみる。
そのまま、受け取ってみる。
変わるかどうかは分かりません。
でも少なくとも、
いまの自分の状態は分かるようになる。
……それだけで、
なかなかいい仕事をするんじゃないかなって
思っています。
