見えると、崩せる。40年間続く金曜の夜ふかしが教えてくれたこと

……いやー、またやってしまいました。

昨日の夜、なんだかんだで
作業に夢中になっているうちに、
気づいたら深夜の2時半になっていて。

今朝の土曜日、
起き抜けから頭が痛い。

「ああ、また早く寝ればよかった」
と後悔する。

……このセリフ、
40年前にも言っていました。

目次

中学時代の金曜夜と、あの深夜の熱狂

だいぶ昔の話です。

中学生の頃、
毎週金曜日は夜ふかしをするのが
恒例になっていました。

きっかけは、AMラジオの番組です。

「アメリカン・トップ40」という、
洋楽のヒットチャートを
カウントダウン形式で40曲紹介する番組が
ありました。

深夜放送で、
最後まで聴くとだいたい2時過ぎになる。

当時ハマっていたのは、
マイケル・ジャクソンとか、
ダリル・ホール&ジョン・オーツ。

ミュージックビデオも大好きで、
自分が全く知らない
キラキラした世界に、
夢とか希望みたいなものを
重ねていたんだと思います。

そして毎週毎週、
トップ10の曲名をノートに書き出しては、
一人で喜んでいました。

……今思えば、あの行為は
「成果」のためではなかったんですよね。

誰かに見せるわけでも、
何かに役立てるわけでもない。
自分が好きなものを記録すること自体が
楽しかった。
純粋な好奇心と、記録欲がそこにあった。

番組が終わるのが深夜2時か2時半。
そのまま就寝して、
翌朝の土曜日は10時ごろに起床。

起きると、頭が微妙に痛い——。

というのが、40年前の毎週の記憶です。

40年後の土曜の朝も、やっぱり頭が痛い

それで昨日の夜。

作業に夢中になっているうちに
気づいたら夜中の2時半になっていました。
今朝起きたのは10時過ぎ。

睡眠時間はそれなりに
取れているんですけど、
どうも
「深夜2時半に寝て、10時に起きる」
という組み合わせが、
僕の頭には特にこたえるみたいです。

「また早く寝ればよかった」と後悔する。

「あー、なんで昨夜のうちに
切り上げなかったんだろう」と思う。

……うん、40年間、
まったく同じことを
繰り返してますね(笑)。

我ながら「バカだなぁ」とは思います。

でも、ここで
「意志が弱いからだ」と
自分を責めるのって、
なんか少し違う気がするんですよね。

なぜそう思うかを、
次のセクションで解説します。

「意志が弱いから」繰り返すわけじゃない

僕の夜ふかしに限らず、
こういう
「ついやってしまって、後悔する行動」って、
誰にでも一つや二つ、ないですかね?

たとえば、

ちょっとスキマ時間ができたから、
無意識にスマホを取り出して
ずっとSNSを見てしまう。

疲れているときほど、
なぜかジャンクなものを
ドカ食いしてしまう。

「今日こそは」と思っていたのに、
気づいたらダラダラと動画を見て、
1日が終わっている。

こういうとき、たいてい
「ああ、またやってしまった。
自分の意志が弱いからだ」と
自分を責めがちですよね。

そして
「次こそは絶対に気をつけよう!」と
歯を食いしばって頑張ろうとする。

でも、これって多くの場合、
「意志の問題」ではないんです。

ただの「パターン(自動運転)」に
過ぎません。

「金曜の夜は夜ふかしする」
「ヒマになるとスマホを見る」という、
おなじみのコースに
カチッとハマってしまっているだけ。

僕が40年間
「金曜の夜はつい深夜まで
何かに没頭してしまう」を
繰り返しているのも、
意志が弱いからではなく、
そういうパターンが
体に刻み込まれているからなんですよね。

意志の強さで押さえつけようとしても、
この自動運転は意外と手強い。

気合と根性で「次こそは!」と
やってみても、
だいたい三日坊主で終わります。

……僕自身、何度もそうでした。

自分を変えようとする前に、「観察」する

では、自動運転から抜け出すには
どうすればいいか。

ここで大事なのは、
「無理に自分を変えよう、
直そうとすること」ではありません。

そうではなくて、まず
「あ、いまおなじみのパターンに入ってるな」と
一歩引いて気づくこと。

これが、なかなかいい仕事をします。

一段高いところから、
自分の行動を実況中継してみる感覚、
と言えばいいでしょうか。

自分のことを、
少し距離を置いて眺めてみる。

僕はこの視点を
「メタ・マインドセット」と呼んでいます
(自分が勝手に名付けました)。

「無理にポジティブになれ」
ということではありません。

「あの行動をしてよかった!」と
自分に言い聞かせる、
いわゆるポジティブシンキングとも違います。

ただ「あ、またやってるな」と、
少し引いた目線で眺めてみる。
それだけ。

実は、こういう無意識の行動パターンって、
自分で「見えた」瞬間に、
不思議と崩せるようになるんです。

「あ、またスマホ見ようとしてるぞ」

「お、夜中の2時を過ぎて、
あの深夜モードに入ろうとしてるな」

そうやって、
自分の行動の「仕組み」に気づくだけで、
自動運転からパッと抜け出せる瞬間が
増えてくる。

自分を責める必要も、
無理にポジティブになる必要も、
ありません。

ただ「あ、やってるな」と見るだけ。

それだけで、
ゲームのルールが変わりはじめます。

「また出た」とニヤリとするだけでいい

具体的な観察の入り口として、
こんなことをやってみると
いいんじゃないかなと思っています。

スキマ時間ができたとき、
反射的にスマホを取り出して
SNSを見る前に、
ちょっとだけ立ち止まってみる。

「今日、自分どんなパターンに
入ってたかな?」って。

これ、なかなか面白いですよ。

普段はあまり気づかなかったことが、
少しずつクリアに
見えてくる感覚があります。

「またやった!最悪だ……」ではなく、

「お、またあのパターン出たな(笑)」と
ニヤリとする感覚。

責めるエネルギーが、
観察するエネルギーに変わるというか。

力みが抜けた分、
むしろ自分の行動が
よく見えるようになる気がします。

いきなりリアルタイムで気づくのが難しければ、
1日の終わりに振り返るだけでも
十分じゃないかな。

「今日、自分はどんなパターンに
入っていたか」を思い返してみる。

そこで「あ、またいつものやつだ」と
気づいた瞬間、
もうそのパターンの見え方が
少し変わっています。

そして、そこから
パターンの崩れが始まるんです。

「本当に崩れたもの」の正体

……でも待って。
「お前は40年間変わってないじゃないか」
という声が聞こえてきそうですよね(笑)。

そうなんです。夜更かしそのものは、
崩れていない。

でも、それでもいい。

夜更かしパターンじゃなくて、
「またやってしまった、自分はダメだ」と
責め続けるパターンのほうが
崩れたということなんですよね。

……今夜も深夜になるかもしれない(笑)。

でも「またいつものやつだ」と
ニヤリとできるなら、
僕はそれで十分だと思っています。


<余談>
ところで、話を書いていて
気づいたんですけど。

40年前の中学時代に、
「トップ10の曲名をノートに書き出して
喜んでいた」あの行為——。

今のObsidianでのジャーナリングや、
こうして文章を書くことと、
根っこが同じなんじゃないかと思うんです。

成果のためでも、
誰かに見せるためでもなく、
記録することが楽しい、という原点は、
40年間ずっと変わっていなかった。

夜ふかしの思い出から、
まさかそんなことが見えてくるとは(笑)。

パターンって、観察してみると、
なかなか面白いものが見えてきます。

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